ごあいさつ

ごあいさつ 大瀧一郎 牧師

1950年7月大分県佐伯市に生まれ、中学3年の時に友人に誘われ佐伯福音キリスト教会に行く。高校生となりバイブルキャンプに誘われイエスキリストを信じる。

1967年7月高校二年の時に洗礼を授かる。高校を卒業後大阪の四条畷教会に出席させていただいている時に、神様からの召命を頂き献身して、1971年関西聖書神学校に入学する。

1975年3月同校を卒業後、豊後高田福音キリスト教会に赴任する。2年後に結婚する。 

1991年9月日本地方伝道教団の解消に伴い、日本イエスキリスト教団へ加入。4人の子どもも与えられ、今はそれぞれ自立して、現在は妻と二人で教会の働きを進めている。 
 ・趣味 陶芸・食べること 温泉 
 ・苦手なこと・ダイエット

大瀧 裕子(ひろこ) 師

1944年大分県佐伯市に生まれる。

高校2年生の時に、教会に来て救われました。

何のために生きたらいいのかを探している中で、聖書の言葉に出会いました。

聖書の御言葉は、エペソ2章10節「実にわたしたちは神の作品であって、良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造られたのです。神は、わたしたちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えて下さったのです」

そして、イエス・キリストの十字架の愛に触れました。

その後、父の死によって九州に帰り、家業に従事。

召命をいただき、献身。関西聖書神学校卒業後、結婚。豊後高田福音キリスト教会に赴任しました。

好きなことは、読書、花を見る事、花と野菜を育てる事です。

好きな言葉:婦人宣教師ブラント師の言葉「疲れた。訪問伝道に行こう。」です。

私が教会に来たキッカケ

H.I.さん(男性)

僕は豊後高田教会に来て丸3年です。この教会はベテランの方が多い中一番初心者です。きっかけは札幌の両親、まず父が脳梗塞で施設に入り、そこはキリスト教系の施設でした。

そして間もなく母も、同じ施設内にあるケアハウスに入りました。そして洗礼を受けました。後に父も亡くなり、教会のお別れ会も素晴らしい者でした。また恵みを頂いたエピソードはたくさんあります。

そして、大分の国東に帰ってから教会に通ってみようと思いました。国東では高田教会に行く前に2年間違う教会に通っていましたが、聖書もちんぷんかんぷんでした。そんな時、母が通っていた教会の紹介で高田教会に来るようになりました。高田教会では大瀧牧師を通して、神のみ言葉に光を当ててくれました。そうした、神様の御業に感謝しています。

今は、イエス様を私の救い主と信じて洗礼を受けて3年になります。

K.W.さん(男性)

高校生のとき、生きる意味が分からなくなり、心がボロボロになっていた時期がありました。

そのとき、教会のトラクトが来て、もし今の心の気持ちが少しでも楽になればと思い教会にいきました。そして、神様に仕える人との交わりや神様の言葉を聞き、ゆっくりと心が癒されていきました。

神様は、元気なときだけではなく、暗くこころが弱くなって砕かれた時に触れてくださる方なんだなと思いました。

好きな言葉:イザヤ書43章4節「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

色んな事で悩んだときいつも励まされています。

A.Iさん(女性)

豊後高田キリスト教会に行くようになったきっかけ(2023.4.9)

私は、大学時代に岡山県でキリスト教会に行くようになり、洗礼を受けました。

大分県の公務員になり帰ってくるときに、教会をさがしていました。そんな時、大学のKGK(キリスト者学生会)で知り合った兄弟が、「遠いけど自分の教会に来てみませんか。若い人が多いので、話が合うのではないでしょうか。」と紹介してくれました。

行ってみると初めての私に、とても親切にしてくれ、牧師先生の話も、もっと聞きたいと思いました。それから、かれこれ今年で34年目になります。出会いを用意してくださった神様に感謝します。

Y.S.さん(女性)

私が初めて、豊後高田福音教会を訪れたきっかけは、家庭の中で悩んでいた人間関係を何とか解決したいと思ったことでした。その時対応してくださった牧師夫人は聖書の「ローマ人への手紙」から、パウロの言葉を教えてくださいました。

それは、「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私は善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は自分でしたいと思う善を行わないで、却って、したくない悪を行っています。」聖書にこれ程、人間の弱さというか、生身の人間のあり様が書かれていることに驚きました。

そして、このまま聖書を学んでいけば、これから遭遇するであろう様々な悩みを解決する方法が見つかるかもしれないと考えました。その中で、私の罪を贖うために十字架にかかって下さり、死後3日目に蘇えられたイエス・キリストのことを知り、受け入れ受洗へと導かれました。

あれから30年以上が経ち、実に様々なことがありましたが、全ては神様が私のために立ててくださったご計画であると信じ、全てを受け入れ、神様を見上げて歩んでいきたいと願っています。